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ありがとうございます!

 投稿者:おだわらん  投稿日:2009年 8月29日(土)10時35分46秒
  ご助言ありがとうございます。
土屋政一氏の本は、なぜか発刊時に父の下にDMが着て所持しています。実家で埋もれてたのを探し出してきて、今手元にあります。内容の分厚さに驚きました。どうやってあんなにお調べになったのか…。その資料が今どうなっているのかも気になります。

もどかしくもあり、発見の喜びもあり、ある意味「探偵」のような気分です。
宗遠が越えた足柄峠や相模の山並みも、歴史を重ねて見るとまた違った風景に映り、
景色以上に営々とした人の営みを感じます。

ライフワークと心得、気ままに続けてゆけたらと思っております。
今後ともご指導よろしくお願い致します。
 
 

おだわらん さんへ

 投稿者:本人  投稿日:2009年 8月23日(日)00時40分10秒
  一応、出典資料に関しての明記は2ページ目の入城サイトからご覧いただけます。(だいたいの人は検索サイトの関係から3ページ目から入ってきます)そちらをご参考ください。

ただ、膨大ともいえる資料を3年かけて7割ほど(今現在の形からみて)形づけられた分けで、内容文の中にも部分的には資料の紹介もしてありますが、本サイトの性質上、各資料への検索サイトではありません。
また、各々の資料も殆どがまた数々の資料から取り入れられた書物です。

追い求められる気持ちも分かりますが、結果イタチごっこになりかねると思う次第です。

そして、このHPの一番の骨格となっているのは 過去に自分と同等のことを考え、書物として成し遂げた京都の土屋政一さんの功労です。

この書「土屋氏族の歴史・前後編」の存在を教えてくれたのは長崎の土谷重幸でした。このHPは決して自分ひとりで作り上げたわけではありません。いろいろな土屋さん(過去から現代の)の力を借りて出来ているものです。

また、貴方の求めている<江戸初期の甲斐土屋氏の流れ>についてですが、江戸時代に入ると旗本および御家人以外は名字帯刀を剥奪されるので、その流れは江戸末期に名字帯刀を許されるまで不鮮明になります。自分も我が家系において追うのをあきらめました。

でも、もしかしたら・・・
土屋政一さんの残した「土屋氏族の歴史・後編」。これは江戸から昭和初期までの土屋氏のことが記されています。これを紐解くのも手段の一つかもしれません。
この書は土屋政一さんが自費で創り、日本全国の県立図書館に贈与されているもので、市販はされていません。
 

突破口でした

 投稿者:おだわらん  投稿日:2009年 8月22日(土)21時25分53秒
  レス有難うございます。

神奈川県西部に転居し、ふと目にした近隣の地名を検索した処、
あのHPに巡り合う事が出来ました。その内容は衝撃的と言っていいほどでした。
本当に感謝の一言しかありません。
もしご意見させて頂けるなら、出典資料を仔細に開示して頂けると幸甚です。

目下、当方の調査でネックになってるのは、江戸初期の甲斐土屋氏の流れです。
過去帳にある院殿号の5名が誰かは、分かってきたのですが、
それはどうやら中根氏なのです。
寺は三石畳の入る寺。しかし開祖は中根氏。
一方、昌恒は「ちょっと違う土屋さん」「金丸さんとは遠い親戚」等、
明らかに土屋一族の事柄が時代を超えて伝聞されてきている。
幕末には甲府城の御殿医だった者もいて、開国を主張し暗殺された…etc。
まだまだ「点」を繋げるには、歳月が必要そうです。

そうでしたか、宗遠公の命日でしたか!。
それは奇遇とは片付け難く思います。調査してると不思議な経験も少なくありません。
お盆に私も手を合わせに行ってきました。薮蚊の凄さには閉口しましたが、
行く度に感慨深いものがあります。

いつかお会いできる日があれば光栄です。

                          敬 具
 

お役にたちました?

 投稿者:本人  投稿日:2009年 8月 2日(日)19時30分29秒
  役に立てていただいて光栄です。
このホームページの目的の第一は、役に立てていただく事ですから・・・

よかったと思います。

また、今後のこのページを役立てる方々のためにも
なにかご意見や 付け足せる事柄があれば よろしくお願いします。

コメントをいただいて、ふと思えば・・・
不思議なことに昨日は 初代宗遠公の命日。
これも何かあるんでしょう。

昨日は暑い日でした。いつもご命日は暑いです。2年に1度ぐらいは墓参するのですが
昨日は MAがあったので行っていません。
明日行ってきます。
 

初めまして

 投稿者:おだわらん  投稿日:2009年 8月 2日(日)13時00分28秒
  映画とは全く異なるとこからの書き込みですいません。
私も同姓で、親子二代TV関係です。(私の現職は違いますが)
都内のMAスタジオもいろいろ伺いましたよ。

私も一族調査をしてますが、土屋一族のHPは本当に参考になりました。
お陰さまで当家の調査も大分進みました。心より感謝致します。

甲府南IC近くに祖先の建てた寺が今もあり、そこに古い五輪の塔があります。
「戦に負けて西から担いできた」との伝承があり、ひょっとしたらそれは明徳の乱の事で、
だとしたら、甲斐土屋氏の武田氏転属第一歩の証左かもしれません。

空襲で多くの資料が消え全ては口伝と推理が頼りで、山梨県立博物館等も調査に行ってます。歴史を思いながら見ると、甲斐や相模の風景もまた違って見えてきます。
ライフワークとして、いずれ何かに記しておけたらと思ってます。

※ 不適切な書き込みでしたら、削除ください。
 

14年

 投稿者:本人  投稿日:2009年 6月 7日(日)23時10分23秒
  14年勤めてくれた。助手が引退。1995年4月から2009年4月の長きに渡り、御苦労さまでした。 そして、ありがとう。  

名前について

 投稿者:爽 秋メール  投稿日:2008年 9月16日(火)07時21分54秒
  元埼玉県知事の影響でしょうか、関東では結構多い苗字だし(特に長野県、山梨県、静岡県)知っている人が多いのですが、関西に行くと「土建屋さんですか?」とか「堆肥を商っている人」といったイメージになります。

まあどっちでもいいんですけど・・・・・
 

善福寺公園の石碑

 投稿者:webマスターの土屋  投稿日:2008年 9月15日(月)23時14分32秒
  えっ? 土屋氏のホームページからここに来れましたっけ・・・
ま それはさて置き。
善福寺池というのはそもそも 鎌倉時代当初、いまの様なありさまではなかったようです。
池というものでもなく・・・ハッキリいうと何もなかったに近かった。
頼朝一行が ここを訪れたのは 1193年(建久4年)の3月です。一行は「3月21日、三原・浅間・那須の狩座(かりくら)に向け、鎌倉を出発。土屋義清も護衛についたとのことです。
では、土屋氏のホームページに載せてある一説を ここでご紹介しましょう。
<この池はこの巻き狩りの際にここを訪れた頼朝と御家人たちが作ったという。公園の外れに「遅野井」という名の清水がある。喉が乾いていた一行が岩の隙間から染み出る水に気づき、御家人たちは総出で手を使い、頼朝自身も加わって穴を掘り大きな清水にしたという。それが年月を経て、今のように大きな池となったということである。思えばその時の頼朝と御家人たちの脳裏にあったのは若き日の伊豆の山中に遊んだ良き日の思い出だったのではないだろうか。もうひとつは、浅間山の麓に嬬恋村という所がある。一行は上野国吾妻郡嬬恋郷干俣で狩座(かりぐら)を開いた。その時、土地の民が川を堰き止めて、干し上げた川底から魚を取って頼朝に献上した。頼朝は、これを見て窮めて喜び、その功労としてその民にいたって単純ではあるが、「干川」というの姓を与えたのだそうだ。この氏族は、今日も同地に在籍している(家紋:七曜)。江戸後期に出た干川彦太郎は、それまで真っ直ぐであった天秤棒を湾曲させて重力の配分を力学上においても利を得た使いやすい物に改良した。これが、当時とても持てはやされ、『彦棒』と言う名で後の世にも受け継がれたと云う。今でこそたまに地方でしかお目にかからない物だが、確かに天秤棒は湾曲している。
 また、江戸時代末期の頃からの同氏の系図によれば、縁者に土屋氏が多い。三原・浅間の巻き狩りに土屋大学介義清も側近として同道していたことであるから、これは因縁めいて不思議な感にしたる。また、ここの土屋氏は家紋が沢瀉(おもだか)である。>

とまあこうゆうことですが 善福寺に行ったのでしたら「遅野井」の傍に由緒が書かれた碑が在ったのではないでしょうか?この内容はそこに書かれてある内容のモノです。
 

善福寺公園の石碑

 投稿者:爽 秋メール  投稿日:2008年 9月15日(月)17時22分46秒
  土屋家紹介コーナーでご紹介いただきました土屋です。

同族意識というのは良くないのでしょうが、一応同姓ということで書きこませていただきます。

3年前、武蔵野市の善福寺公園を訪れましたら、家の側の石碑に頼朝公奥州征伐の際は、右に土肥、左に土屋と書かれていた碑文をみつけました。中尊寺始め、藤原3代を滅ぼしたのは我が祖先か、と恐ろしくなりました。

「奥の細道」を歩くときは霊障に気を付けたいと思います。
 

MIXIの

 投稿者:管理者  投稿日:2008年 5月 2日(金)06時13分17秒
  登録をした。  

実相寺監督に冥福の念

 投稿者:土屋  投稿日:2006年12月18日(月)00時47分31秒
  またしても 一つの巨星が落ちていった。結局、隣の親父で終わってしまった。9年もの長い間、同じマンジョンの隣人であった。16年も前のことであるが、撮影がオフのときは良く顔を会わせたものである。部屋の鍵を忘れた時、林のごとく数々の本が山済みにされた実相寺さんの部屋を通してもらってベランダ伝いに自分の部屋へ行ったこともあった。現場では2度、日活と東宝の撮影所で・・・互いに違う作品をしていた。2度目は昨年の東宝の撮影所(ビルド)で 来る1月公開の「ユメ十夜」第五夜の撮影の時、実相寺さんの控え室まで出向き、10分以上も昔話やら互いの家族のことやら話しこんだ。結局これが最初で最後の長い談笑となってしまった。実相寺さんはこの後「第二夜」を監督した後、病床に就くことになるのだが、「第二夜」の録音を自分に依頼してきた。しかし、鈴木プロジューサーの一矢により潰えてしまった。結局、撮影に於いても隣人で終わってしっまった。無念であった。また、奇しくもこの10月末に「ユメ十夜」の<第三夜>の録音を担当した。亡くなった事を知らされた11月29日のその時、涙が止まらなかった。行きたかった葬儀の日は 自分は「修羅の魂」のクランクインの日でまたしても縁の遠さをおもいしらされた。この逸話はここだけの話で終わるが、「ユメ十夜」は来年早々に全国公開となる。

さて、その「修羅の魂」も終了し、本年の仕事収めとなった。
 

我が霧は五里よりの永き!

 投稿者:土屋  投稿日:2006年10月20日(金)23時43分54秒
  今月は もうないかなと思っていた仕事が 最後の最後に決まった。作品は夏目漱石原作「夢十夜」の最終撮影分(既に九夜分は完成試写もすんでいる)「第三夜」である。ちょうど一年前に「第五夜」を撮影した。これで自分の担当が十夜中 二夜となる。この作品は東京国際映画祭の特別招待出展作品でもある。来年には全国ロードショーが決定しているし、楽しみだ。それと11月の仕事も決まった。これは TV作品で江戸川乱歩の「人間椅子」。中旬より撮影開始される。なんかばたばたと、たった30分のうちにこれらは決まった。季節は、もはや晩秋なり…  

あっ!秋山監督ではないですか

 投稿者:土屋  投稿日:2006年10月10日(火)23時06分6秒
  秋山監督も多方面に その才を開花させて ある意味いいことです。自分はドラマ等の録音しか能はないようです。しかしまた、今年は多忙と閑古の波が激しいようです。
ともかく 高瀬の急死のショックが尾を引いている気がする。どちらを向いても訃報の知らせが飛び交い 意気消沈気味だ。撮影に入っている時はそこに没頭していられるのだが…
 

お急がしそうで

 投稿者:秋山  投稿日:2006年10月 9日(月)21時28分51秒
  私も最近、竹書房のイメージDVDの仕事が入り、(全5巻になる模様です)バタバタしています。
ちょっと伊藤氏と進めているものもありますが・・・
商店街もいつになるやら・・・

てな近況です
 

火野レイに会った。

 投稿者:土屋  投稿日:2006年 8月31日(木)09時15分38秒
  北川景子に会った。正式には一年ぶりだが、役者としては2年ぶりとなる。
さすがにセーラームーンの時よりも 現場慣れしてはいるが 礼を携えていないことが
気に掛かる。肝心の芝居は 作品がDVDのおまけ映像ということもあり、ラフな小芝居なので、なんともいえない。立場上から 台詞のことを言えば かなりの成長を見る事ができた。これからの向上をもっと期待したい。
 

31年ぶりにあった奴。

 投稿者:土屋  投稿日:2006年 8月27日(日)16時26分24秒
  昨日「覇道」(監督:辻裕之)の撮影が終わる。その朝のこと、出演者未定だった医者役の人物がロケバスに乗り込んできた、それがなんと1976年アトリエ・フォンテーヌ夏休み公演 やなせたかし&いずみたくのミュージカル「怪傑・アンパンマン」の時の旧友であった。実に31年ぶりの再会である。  

クランクイン

 投稿者:土屋  投稿日:2006年 8月15日(火)21時07分29秒
  明日、「覇道」という作品がインする。誠さんと菅田さんのシーンから撮影に入る。二人とも馴染みの人たちだが3年ぶりぐらいなので、会うのが楽しみだ。キャメラは尚ちゃんなので これまた助手時代からの仲間だ。しかし、テーマがヤクザものなので 最初はあまり気がすすまなかったが、元来作品を選ばないたちなのであることと 知り合いが多い事でよしとする。  

風鈴市に

 投稿者:土屋  投稿日:2006年 7月22日(土)20時50分13秒
  もう一度行った。小田原風鈴を買った。黒沢明監督が「赤ひげ」で使ったものということだ。南部風鈴が一番音がいいと思っていたが… 今窓辺で 清んだ高音の長い響きがとてもいい感じになっている。  

秋山監督が一番に

 投稿者:土屋  投稿日:2006年 7月21日(金)00時59分19秒
  書き込みをしていただけて嬉しく思います。

お別れ会ですが行きませんでした。なんか違うなアって気が働いて・・・家で四十九日の気持ちで吾がオフクロと今村さんの話をしていました。酒を酌みかわしつつ…


亡霊学級1.2を入手。これも出来上がりを見ていなかった作品でした。

愛物語、ごろつき2、裏ゼニ学、あばれブンヤ、

パチンコグラフィテー、満月、ドルフィンスルー(DVD)、カチコミ刑事(DVD)、平成ハレンチ学園、と続々入手できました。今日は真累が淵、監禁逃亡(三浦綺音編)、くどき屋ジョー、をYahooオークションで落札しました。

川崎大師の風鈴市などに行って来ました。当然ながら・・・いろんな風鈴があるもんですね。

音など録ってきたので後日アップします。
 

はじめまして

 投稿者:秋山  投稿日:2006年 7月20日(木)23時10分30秒
  とうとうBBSも完成しましたね。
ところで今村監督のお別れの会には行かれましたか?
私は仕事が続いてて行けませんでした。

またよらさせて頂きます
 

「アオグラ」完成!

 投稿者:土屋  投稿日:2006年 7月19日(水)11時20分25秒
編集済
  昨日、調布の東映ラボテックで完成試写を見た。何はともあれ完成することは最高である。一気に何かが吹っ切れるというか、重い荷物を降ろせた感じだ。3月末からの準備4月撮影期5月6月の仕上げの4ヶ月長いようで終わってみるとあっという間、いい物ができた。その後の打ち上げ会は翌0時30分まで続き 撮影談義に花が咲いた。  

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